【高橋 壮芳】#02 在宅医療こそが、私がイメージしていた医師の姿だと強く思いました
連載:あえて治療をしないという選択ができることも、在宅医の条件だと思います。
2017.12.11
紆余曲折して在宅医療にたどり着く
研修医当時の私は、在宅医療には全く興味を持っていませんでした。地方の無医村に行くことを視野に入れていたので、研修先の病院で7年間経験を積んだ後に、いよいよ無医村に行こうと考えました。
しかし実は私は東京出身なのでいわゆる地方の故郷というものがありません。どこに行くとしても全く縁もゆかりもない土地ばかりです。しかも一度そこに赴任したらその後は簡単に辞めるわけにもいきませんから、いい加減な気持ちで赴任するわけにはいきません。
自分の故郷が無医村ということであれば思いも格別でしょうが、東京生まれの私にとっては、それだけの情熱と責任感を持って診療に臨める場所がはたして見つかるのか、探せるのかということが課題でした。
そんな折、学生時代から自転車旅行で旅していた北海道なら多少の縁もあるので、まずは一旦、札幌以外の道内地方病院に勤務し、その後に赴任先の無医村を探そうと考えました。
旭川、帯広、釧路、苫小牧などで病院を探し、ある病院で内定も受けていたのですが、妻の出産と赴任の時期が重なったために、結局はしばらくの期間は東京での勤務医を続けることとなりました。
今までと同じことをしても意味がないので、いずれは役に立つであろうと考えて、これまで経験したことのない在宅医療の世界に飛び込んだわけです。しかし当時は在宅医療についてはほとんど知りませんでした。
在宅専門クリニックで在宅医療を経験する。
中野区の在宅診療専門のクリニックに2年間勤務しました。そこは施設系の在宅診療は行っておらず、個人宅の訪問診療のみで、在宅で点滴も輸血も、人工呼吸器管理も行っているようなクリニックでした。
実はそれまでの私の在宅医にたいしてのイメージは、あまりポジティブなものではありませんでした。
病院の勤務医時代に夜間救急で搬送されてくる患者さんの中には、日常は地域の在宅医に掛かっていてもいざという時には病院に運ばれてくる方が多かった。「いざとなったら病院に行ってください」という、在宅医の患者さんへの関与はその程度に思っていました。
しかしそのクリニックでは全く違っていました。それまでの在宅医に対するイメージは完璧に覆させられました。
そこでは医師は患者さんや家族と相談して最良の方向を決め、一緒になって治療に取り組みます。そのクリニックでの2年間は自分を成長させるには最も良い環境で、在宅医療について非常に多くのことを学べました。
在宅医療に従事してみて、これこそ私がイメージしていた医師の姿だと強く思ったのです。それは医学部を目指した時から抱いていた医師のイメージに非常に近いものであり、医師としての満足感や充実感も非常に高いものでした。
坂本諒 法人役職