#01 1976年、世界で初めて大脳皮質にも多数のレビー小体が出現する認知症を報告する。
連載:小阪憲司氏インタビュー:レビー小体型認知症の最大の問題は、 医師による誤診
2017.09.23
島薗安雄教授に感銘を受け神経病理学に進む。
私が医師を目指したきっかけは、小学生の頃に読んだ、赤十字の父アンリデュナンの伝記に感銘を受け、医者の仕事に興味を持ったことと、当時、新聞などで読んだ無医村で働く医師の仕事にあこがれを持ったことでした。
親は医師ではありませんでしたが、義兄が医師だったのでその影響も多少はあったかもしれません。
金沢大学の医学部に進み、卒業前あたりから精神科への方向性を考え始めました。精神科の中でも特に脳に興味を持ちました。今でいえば、脳神経内科や精神医学などです。
特に私が在学中に主将を務めていたバスケットボール部の顧問でもあった、精神科医で著名な人格者でもあった島薗安雄教授から受けた影響が大きく、島薗教授に出会ったことで、精神神経医学に進もうという方向性が決まりました。
1965年に卒業し、名古屋の病院でインターンを経て、1966年に名古屋大学医学部の精神神経医学教室に進み、精神神経科医となりました。
専門は脳に関心がありましたので神経病理学でした。ですから診ていた患者さんも脳神経障害や高齢者とか認知症の人たちが多かった。その結果、認知症の患者さんたちへ関心を強く持つようになっていきました。
私が名古屋大学医学部の精神神経科にいた当時は学園紛争が盛んな頃で、その影響を受けて特に精神神経科医が研究に専念することができず、大学病院ではそれこそ無給副手として患者さんを診なければいけない時代でした。ですから生活のために同時に精神科の病院でも働いていました。
その頃の大学病院では認知症の患者さんはあまり受け入れておらず、入院先は主に精神科の病院でした。そこで診ていた患者さんの一人が、今でいうレビー小体型認知症の患者さんだったのです。
1976年、世界で初めて大脳皮質にも多数のレビー小体が出現する認知症を報告する。
昭和40年代の当時では、アルツハイマー病、ピック病、クロイトフェルト・ヤコブ病が3大初老期認知症といわれており、その患者さんはアルツハイマー病と診断されていました。
ところが、その患者さんには、認知症と同時にパーキンソン症状が目立っていたのです。アルツハイマー病でこんなに早くパーキンソン症状が目立つ症例があるのだろうかと疑問に思い、パーキンソン症状が目立つ認知症について英語やドイツ語の文献などを主にいろいろと調べましたが、そんな症例はほとんど書かれていなかった。
その患者さんが急死されてしまったので、ご家族にお願いして脳の病理解剖をさせて頂くと、脳幹にレビー小体がたくさんありパーキンソン病の所見と同時に、大脳にもアルツハイマー病の変化がありました。 当初これはアルツハイマー病とパーキンソン病の合併例かと思いました。
しかし過去にそんな症例の報告はありませんでした。さらに詳しく脳を見てみると、脳の深層の小さな神経細胞の中に変な小体がたくさんあることに気づきました。
これは何だろうと思ったのが最初の疑問点でした。よく見るとレビー小体のようなものでしたが、その当時は大脳皮質にはレビー小体は出ないということが世界の神経病理学会での常識だったのです。ですから、レビー小体とは考えにくい。では何だろう、と思っていましたが、わかりませんでした。
当時は、大学病院では研究をつづけることが困難でしたので、1975年に東京都精神医学総合研究所に移りました。その前に、認知症の患者さんで同じようにパーキンソン症状が目立つ症例を見たのでこれは稀なことではないなと直感しました。
そこで図書館に通って英語やドイツ語の論文を相当数調べたのですが、そのような症例の報告はありませんでした。 余談ですが、今のようにパソコンやインターネットもない時代でしたから当時は大変な苦労をしました。
二例目の患者さんの脳も病理解剖をさせて頂き、特に大脳皮質の深層の小さな神経細胞の中にある封入体を調べたら、最終的にはレビー小体と同じものだということがわかりました。最初は学会で報告したのですが理解されませんでした。
そこで1976年に、「大脳にも多数のレビー小体が出現して認知症とパーキンソン症状を示す」という症例を外国の専門誌に報告しました。これがこの認知症の最初の報告です。発見から7年が経過していました。