#05 開業医にとっては「何かを持っている」ことが大切で、それがアドバンテージになる

人工内耳手術への取り組み

新たな今後の取り組みとして、人工内耳に取り組んで生きたいと思っています。

人工内耳の手術を日本で初めて行ったのは先代の神尾友和でした。内耳領域の手術と言うのはその当時はありませんでした。それにより治療に限界のある内耳領域に新たな可能性を生み出しました。

今では人工内耳の手術は多くの医療機関でも行われていますが、重要なのは術後のリハビリなのです。そこまでやらないと手術をしても意味がありません。

しかしリハビリに熱心に取り組んでいる医療機関は少ないのです。父の後継者として、当病院で人工内耳の手術と、術後のリハビリに取り組んでいきたいと思っています。

絶対的な差別化とは自分にしか出来ない事

最後に、開業医にとって一番大切なものは何かと聞かれれば、それは「何かを持っている」ということだと思います。「何か1つ秀でているものがあること」が強みとなり、自己のアドバンテージになると思っています。

「優しい」とか「親切」とか「丁寧」も大切ですが、それだけでは絶対的な差別化にはなりません。自分にしか出来ない事。これだけは誰にも負けないものを持つこと。たとえ今は無くてもそれを目標にして日々の医療に取り組んでいくことが大切だと思います。

神尾記念病院の歴史

1911年(明治44年) 初代院長・神尾友修が耳鼻咽喉科診療所を開業(現在の外神田4丁目)
1917年(大正7年) 規模を拡大し移転、耳鼻咽喉科専門の個人病院「神尾病院」へ改称
1923年(大正12年) 関東大震災で病院全焼
1926年(大正15年) 被災した病院の仮建築を経て本建築完了
1945年(昭和20年) 東京大空襲により病院全焼
1945年(昭和20年) 長男 友彦が2代院長へ就任。東京都から戦後第1号の病院開設許可を得る
1946年(昭和21年) 新病院竣工
1951年(昭和26年) 個人病院から医療法人財団へ改組(理事長:神尾友彦)
1959年(昭和34年) 初代院長 神尾友修死去
1983年(昭和58年) 2代院長 神尾友彦死去、長男の神尾友和が神尾病院理事長に就任、院長代行兼務
1985年(昭和60年) 神尾友和が3代院長に就任
1989年(平成元年) 現在地へ移転、名称を「神尾記念病院」へ変更
2009年(平成21年) 3代院長 神尾友和死去 長男 神尾友信が院長を代行
2010年(平成22年) 神尾友信が4代院長に就任
2011年(平成23年) 創業100周年を迎え現在に至る

この記事の著者/編集者

坂本諒 法人 役職

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この連載について

「神尾で診てもらって良くなったと聞いて…」と、毎日全国から多くの患者が訪れる。

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