#02 慢性期医療にこそチーム医療の原点があります。

亡くなるからこそ、しっかりケアするのです。

慢性期医療では、患者さんが生きている時から、最期のゴールを考えた治療がスタートします。私たちの理念である、慢性期医療のハッピーエンドにも繋がりますが、患者さんの生き様を知っているから、死に方も一緒に考えられるのです。

20年前は「なぜ、死んでいく人をケアしなくちゃいけないの?」と考えるスタッフも多く、そんな雰囲気もありました。家族も面会に来ませんでした。患者さんが大事にされていないから、見るのが辛くて来られないのです。そんな後ろめたい気持ちを抱かせるようなケアをしていました。

指針となるモデルもなく、医療でもケアでもどうしてよいのか分からない時代で、懸命に仕事をしている心あるスタッフも劣等感の中で働いていました。

私は「亡くなるからこそ、しっかりケアしてあげなきゃいけない」とスタッフに訴え続け、全員で手探りしながら、今のようにプライドをもって働ける形にまで持ってくることに取り組んできました。

開業して28年になりますが、私たちはこの間ずっと患者さんの死というものを考えてきました。認知症になっても見てきました。その中でどうしたら患者さんが笑いながら老いてゆき、亡くなっていくかということを本気で考えてきました。今はそれが私たちのプライドとなっています。

慢性期医療にこそチーム医療の原点がある。

慢性期医療は、急性期医療に比べるとどうしても傍流の印象があります。

平成7年からこの病院で働いていますが、当時においては、慢性期医療は敗北の医療のように見られていたような気がします。死んでゆく医療ともいえます。

そんな時代でしたから、医師は少ないしケアにしても教育にしても全くの未開の地でした。

その頃はチーム医療や多職種協働という考えもなかった時代でした。しかし看護師やケアスタッフも巻き込んだチーム医療でないと慢性期医療はうまくいかない。

最近言われているチーム医療も、慢性期医療では遥か以前から至極当然の姿なのです。

20年以上も前から慢性期医療の現場では、必要に迫られてチーム医療、多職種協働に行きついたわけです。

ともすると、急性期医療でのチーム医療にスポットが当たりがちですが、現在のチーム医療の原点は、まさに慢性期医療にあると思っています。

慢性期医療におけるチーム医療とは

慢性期医療におけるチーム医療は、急性期医療のような医師が頂点のピラミッドではなく、全員が各々の役割におけるフラットな関係です。

例えば医師一人に対して看護師20人と大勢のケアスタッフが関わる大所帯のチーム医療となります。そうなると一人の医師ができることには限界があります。

ですから指示命令よりは一緒に考え行動するチームの一員であり、時には医師の見落としをフォローしてもらう、というような補完関係ともいえます。

その上に、医師にはスタッフへの教育も求められます。褥瘡をつくらないためにはどうしたらよいのか、患者さんが本当に困っていることを聞き出すためにはどうしたらよいか。 

例えば、患者さんは短期間の入院でしたら我慢してあまり要望しません。しかし長い入院になると、「ああしてほしい」といろいろな要望や、時には我儘も言います。それらをどのようにして聞き出し、整え解決するかということは、現場のスタッフにも求められている仕事なのです。

ですから慢性期医療では、医師は威張れません。威張ったら誰も協力してくれません(笑)。

私が知る限り、父も含めてですが慢性期医療に携わる医師は皆さん本当に優しいと感じます。

この記事の著者/編集者

坂本諒 法人 役職

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この連載について

生まれ故郷をこよなく愛し、大好きな慢性期医療に取り組む。

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